卒婚・あたらしい夫婦のかたち

約1年の別居を経てから再同居。婚姻関係は維持したまま『卒婚』を目指します。熟年離婚した毒母との関係は難航中。。

2017年04月

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つづきです。

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またしても浮気がバレた父。

私と姉がその話を聞いたとき
すでに母は離婚準備を始めていました。


決して仲良くもなく
行動パターンも
性格も合わない夫婦だなあと
思っていましたが

母の保守的な性質から
離婚はしないと予想してたので
驚きました。

娘達や親戚などに
相談するタイプでもないので
サクサクと家庭裁判所に行って
協議離婚をまとめてしまい

私と姉が自宅を訪ねたときには
署名捺印された離婚届けが用意され


「ついでだから、アンタ達が証人になってよ」


と言われたのでした\(^o^)/


親の離婚届けの証人って
子供でもなれるんですね。。。

成人してれば誰でもいいのかな。

離婚届けに証人が必要なのも
この時始めて知りました。

母の勢いに押されて
姉と二人で署名してしまったけど

後から考えると
あれを見た父は
少なからず傷ついたり・・・・
してないと良いのですが

今となっては
確かめようもないです。


つづきます・・・・
次で終わりです。


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つづきです。

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不倫がバレて
2年間別居していた父が
母の住む自宅へ戻ることになりました。

理由はわかりませんが
おそらく母の方が
寂しさを感じて
父を呼び戻したのだと思います。

自分勝手で傲慢なところのある母ですが
郊外の一軒家に1人きりでいるのは
さすがにやりきれなかったのかもしれません。

気がつくと
実家に父がいる風景が
普通になっていました。


しばらくは
娘である私達の前でも
妙にべたべたとして
気持ち悪かったんですが

父がかなり気を遣っていたのだと思います。

母を連れて
温泉旅行に行ったり
前よりも一緒に行動するようになりました。

そして平穏な数年が過ぎて
年金生活に入った両親。

自宅のローンも
ようやく終わるという去年。


またしても
父の浮気が発覚\(^o^)/


70過ぎてるんんだけど・・・
我が父ながら
なかなかやるね\(^o^)/


つづきます。。。


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つづきです。

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強気で自信満々な母親ですが
父の浮気はかなり衝撃だったようでした。


お正月明けのある日、
ポストに見覚えのない女性からの
年賀状を見つけた母。

去年父とあちこち出かけて
とても楽しかったこと。
今年も2人で楽しく過ごしましょう。

というような趣旨だったようですが
母はそれを私達に見せる前に
処分したようです。


そもそも不倫相手に住所を知られてるとか
父もどんだけヌケてるんだ
と思いますが。。。。\(^o^)/



その女性がどんな人なのか
なんでわざわざ年賀状など送ってくるのか
真相は闇の中。。

とにかく決定的に浮気がバレた父は
翌日には自分の職場の近くに
アパートを決めて
逃げるように引っ越していきました。

そして
およそ2年ぐらい
別居状態が続きます。


父はたまに実家にあらわれ
自分宛ての郵便物を持ち帰ったり
倉庫にある趣味の道具の
手入れをしたりしていました。

2人は全く口をきかないわけでもなく
淡々と日常的な会話をかわしてたので

別々に住んでる以外は
表面的には
他所の夫婦と変わらないように見えました。

父は自宅のローンの半分と
自分のアパートの家賃を払っていたので
生活は楽ではなかったと思いますが

独り暮らし歴が長かった父は
お酒も飲まず、ギャンブルもしないので
自炊や趣味を存分に楽しんでいたようです。

引っ越しは不本意だったかもしれませんが
職場の近いアパートも
通勤が楽で快適そうでした。


それから両親の間で
どんな話合いがなされたのか
さだかではありませんが

別居から2年経過したとき
不意に父が自宅へ
戻ってくることになりました。


つづきます・・・


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つづきです。

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父親は50半ば、母親は40半ばで
郊外(不便な立地)に建てた家の
ローンを組みました。

人生で2軒家を建てられるのは
幸せなのか不幸なのか。。。

田舎暮らしの念願が叶い
当初は嬉しそうな二人でしたが

ローンを返すために
まだまだ働かなければなりません。


素敵な家と広い土地を手に入れたかわりに
車で1時間半の通勤と
スーパーや病院などが近所にない不便さを
受け入れなくてはなりませんでした。

母親はローン返済のために
今まで以上に保険のセールスに力を入れて
深夜まで仕事をする日々が続きました。

たまに私が実家を訪ねると
夕飯時に台所でポツンと
魚を焼く父の姿がありました。

「これじゃ独身と変わらないよ」

と呟きつつも
わりと楽しそうに食事をする父。

この頃から
2人の溝は深まっていったようです。


父は楽器やバイクなど
趣味が多く
友人からの遊びの誘いもあるので
母の不在はそれほど気にならなかったようでした。

気にならない、ということは
母がいない所での楽しみで
人生が充実してるということ。


身だしなみや洋服にも気を配り
オシャレで人懐こい父に

やがて女性の影が見えるのは
そう不思議でもないことでした。

我が父ながら
どーしょもない\(^o^)/



つづきます・・・・


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つづきです。

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なかば母に押し切られるかたちで
結婚した両親。

特にお互いの家族から反対もなく
順調に新婚生活を送っていました。

2年ほどで姉が誕生。

数年後に私が誕生。

母は男の子を望んでたようですが
私で打ち止めにしたようでした。

(私が生まれて、娘だと知った瞬間「チッ」と舌打ちしたらしい)


好景気だった80年代~90年代は
父の仕事も面白いように好調で

早々に建売住宅のローンを完済。

途中から母親も
保険の外交員として働き始めます。

勉強が得意で
競争意識の強い母は
メキメキと顧客を開拓して
歩合制の給料は
いつしか父親を上回っていました。

母はどちらかというと
男性的な野心を持ち
弱者に対して冷たい傾向を持っていました。

「できない奴はいらない」

という弱肉強食主義を隠さず
後輩の指導にあたることもあったので
勤め先ではあまり評判がいいとは
言えなかったようでした。


娘である姉と私も
そんな母親とことあるごとぶつかり
2人とも高校卒業と同時に
家から離れました。


小金を貯めた両親は
なぜか田舎暮らしにあこがれて
(団塊世代にはありがちですが)

郊外(とても不便な場所)に
新しい家を建てるんですが

今思えば
ここが彼等の分岐点だったのかなあ
と思います。


つづきます・・・


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