卒婚・あたらしい夫婦のかたち

円満?家庭内別居を目指してたけど本当の『卒婚』にシフトしました。現在別居中です。熟年離婚した毒母との関係も難航中。。

母親との関係

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◆Twitterより


私も学生の頃に同じ事を言われ
母親にお金を渡してましたが

ビタ一文返ってきませんでした。


そうか・・・

世間ではこういう愛情みたいな物もあるんですね。

子供の代わりに積立してあげる、みたいな。

酷い話かと思ったら
心温まる系の話だったんですね。



でもウチもこっちのクチだなあ。
お酒を飲まれたりはしなかったけど
母があのお金で自分のコートやバッグを買っていたのは覚えてます。
(買った物を褒めるよう強要され、母が納得するまで自慢された)


なので、自分で働いて稼いだお金を
自分以外の人に渡す怖さみたいなのが
染みついてて、

たとえ夫婦でも家族でも
お金の管理を人にまかせるような気持ちになれないな。


今おもえば夫もよく私という他人に
家計の管理を任せたものだ。

夫は浪費家だしお金の使い方もひどいけど
私ほど疑り深い人間ではないのかもしれない。


自分にもし子供がいたら
この親のようにバイト代を徴収しただろうか?


多分しないな。


成長してから返してあげるつもりでも、
いつ何があるかわからないし
働いた分はまるまる自分のお金にした方が
労働に対してモチベーションを保てるような気がします。

私自身、時給800円でバイトしてても
母親に半分取られるから実質は時給400円か・・
とげんなりした記憶がありますし。

徴収して何年も後に返すよりも
収入の何割かをローリスクな投資にまわす方法を教えた方が
よほど人生の役に立つのでは。


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母から唐突に荷物が届きました。


両手で持てるぐらいの
段ボール箱。


開ける前から
嫌な予感しかしません。


中から出てきたものは・・・


・ダブルベッド用のボックスシーツ
・雑誌の付録らしいエコバッグ(使用済み)
・ジャム4個(賞味期限切れ)
・ド派手な柄のトレーナー
・韓国語表記の冷麺(賞味期限切れ)



などでした。


ダブルベッドなどないし
トレーナーもとてもじゃないけど
外出できなそうな柄。

ジャムは見た事もないメーカーで
やたら容量が多く、
冷麺もすべて賞味期限が半年以上過ぎた物。


母はたまに
自分が不要な物を人に送りつけてきます。

ゴミに出すのが面倒なのか
本当に善意なのかわからないけど
迷惑でしかありません。


それでも何かリアクションしないと
「お前はお礼もできない人間なのか」
と罵ってくるので
LINEで「届きました」とだけ送っておきました。


地震や台風で被災した土地の人が
「使えない物を送ってこられて困惑」
と言っていましたが

母みたいな人の仕業なのでしょう。

相手も喜ぶし
不用品の処分もできて一石二鳥!
とか思ってるんだろうな。

送り返したい気持ちでいっぱいですが
また言い争いの種になるだけなので
黙って処分するしかありませんね。


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12月が近づいて
朝晩の冷え込みが厳しくなってきましたね。

自宅の近くに
小学校があるんですが

昼間に前を通ると
半袖・短パンの体操服を着た
生徒達が元気に校庭で
体育の授業を受けていました。


最近では
真冬に半袖はおかしい
という声が増えてきて
学校によっては
長袖や長ズボンを
選べるようになったそうですね。

私が子供の頃の小学校では
女子は強制的に半袖とブルマでした。

ですが、
私も姉も真冬に
半袖で授業に参加することは
ありませんでした。


なぜかといえば、、

頼もしき我が家の毒母が
学校に乗りこみ
担任に向かって一方的に

「ウチの娘は気温が◯◯℃以下になったら
ジャージを着させますから!」

と宣言して決めてしまったからです。

今でいうモンスターなんとか
だったんでしょうねえ。。

他にそんな事を言う
親御さんはいなかったと思うので。


個人的には
動きやすい恰好であれば
気温に適した服を着ればいい
と思っていますが

小学生だった当時は
寒さに震えるみんなの中で1人だけ
暖かい服装をしている自分が
怠けているような
ズルをしてるような気がして
何とも居心地の悪い思いをしました。
(それでも暖かいのは助かったけど)


私よりも協調性の高い姉などは
こっそり校庭の隅に
ジャージを脱いで
皆と同じ服装に合わせた事も
あったようです。


教育論、健康論の中で
何が正解なのか私にはわかりませんが

めちゃくちゃな教育方法だった母の所業の中で
体操服に関してだけは
理に適っていたように思います。
(その一方で突然怒り狂って
大雪の日に屋外に立たされたりしましたが)


身体が弱い子供に
薄着をさせても体調を崩すだけです。

今思えば
皆に同じ事を強要する
軍隊方式な学校制度に
不信感を持ったのも
あの体操服の件が発端かもしれません。


そして時を経て大人になってからは
社会の枠組みから逸脱せずに
自由に生きる方法を探してますが


いまだに見つけられてません。


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「体調が悪い」と母から連絡があり
病院へ送迎してきました。


母の事はしばらく書いていませんでしたが
別居準備中~引っ越しの間にも

鬼電(1日に100回以上かけてくる)や
ラインの通知が鳴りっぱなし
な事はしばしばあって

ブロックしたり
解除したりの繰り返しです。


今回は叔母からも連絡があり

本当に具合が悪そうだから
会ってあげて

と言われたので
しぶしぶながら、送迎してきました。


久しぶりに見る母は
かなり痩せて、顔のシワも増え
すっかり「おばあさん」のようでした。

ずっと糖尿病を患ってますが
医師の食事指導に従わず
好き勝手に飲み食いしているので
とうとう尿に大量の糖が降りるようになったらしく
急激に体重が減少したそうです。

足腰もふらついており
階段を降りるのもしんどそうでしたが

口の方は以前と変わらず
玄関まで迎えに来た私に

「遅い!!」
「なんだ、その服は!みっともない!」
(どんな服装でも必ず言う)
「まだそんなボロ車乗ってるのか!」
「◯◯(夫のこと)は何で来ないんだ!」


と唾を飛ばしながら怒鳴り散らします。


母に別居の事は話ていません。


話せば首を突っ込んできて
ああしろこうしろ、だからお前はダメなんだ
と際限なく言われそうなので
できる限り知らせたくありません。


診察を受けて検査をしたところ
数値はかなり悪く出ましたが
以前と違う薬を処方されただけで
入院、という事態にはなりませんでした。


気が済むまで怒鳴りちらして疲れたのか
帰りの車の
助手席で寝入る母を見て

これから先の不安が
黒い雲のように湧き出してきました。


もっと症状が悪くなって
介護状態になってしまったら
一体どうしたらいいのか。。


身体は弱りきっているけど
頭と口のはっきりした母に
奴隷のようにこき使われる自分を想像して
言い知れない不安が押し寄せてきました。

どんなに口汚く罵られても
まだ元気でいてくれた方がいい。。

施設も入院も嫌がるであろう母の老後と
どう関わっていけばいいのか
今は不安しかありません。


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Twitterより

自分の子供を分身のように感じて
どちらか区別がつかなくなるぐらい癒着して
完全に同化してしまう事がある。


姉を産んだ若かりし日の母は
自分の側から片時も離さず
お風呂もトイレも一緒。

自分が子供の頃に憧れていたバレエ教室やピアノ教室に
毎日付き添い、贅沢な服や靴を買い与えて
自分がなりたかったお姫様のような生活をさせていたそうです。

しかし、小学校に入学する頃
姉にも自我が芽生えて
ひらひらした少女趣味の服や
興味のない習い事を嫌がるようになると

母の態度が急変。

「苦労して産んだのに裏切られた」
「何のために娘を産んだのかわからない」
「反抗するならもう育てたくない」


と言い出して
一気に育児放棄へと変わっていくのです。
(実際姉は2ヶ月ほど児童施設に入った)

そんな母が次に情熱を燃やしたのは

男子を産むこと。

産み分けの本を読みあさり
男子を授かるためにありとあらゆる努力をして
待望の妊娠をすると
まだ妊娠数週のうちから
せっせと胎教を施したそうです。

ところが

エコー検査で性別がわかり
女(私です)だとわかったら
激しく落胆すると同時に
妊娠状態やこれからやって来る出産にまったく興味を失い
自堕落な生活になって
とうとう妊娠中毒症に陥り
出産は非常に難産になってしまいました。

どうにか生まれてからも
愛着が持てなかったようで

「お前はテキトーにミルクやっておけば生きてたし」
「寝かしつけ?したことない」
「◯◯(姉)で同じことしたから飽きちゃって」


ネグレクト一歩手前ぐらいの状態で
私は育てられたようです。

とにかく男の子が欲しかった母に

「もう名前まで決めてたのに」
「なんで女なわけ??」


と、ずーーーっと言われてきたので
すっかり罪悪感が染みついてしまってますが
そんな事言われてもどうしようもない。


仮に男子が生まれてたとしても
同じように同化と支配を望んだと思いますが
今でも彼女がなぜ子供を2人も産んだのか
不思議に思います。

そんなふうに育った私の心象風景を
うまく描いてくれているイラストを見つけたので
貼らせていただきます ↓


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最近やっと「距離を置く」ことを覚えて
すこしずつ脱却してはいますが

自分の心が弱ってくると
母の罵倒が頭の中をリフレインして

ああ、自分はもしかしたら母の言う通り
ゴミクズ以下の人間なのかも・・

と思ってしまうので
本当の意味で母と自分を切り離すには
もっと時間が必要なんだと思います。


*過去の毒母関係の記事






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