卒婚・あたらしい夫婦のかたち

約1年の別居を経てから再同居。婚姻関係は維持したまま『卒婚』を目指します。熟年離婚した毒母との関係は難航中。。

母親との関係

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「体調が悪い」と母から連絡があり
病院へ送迎してきました。


母の事はしばらく書いていませんでしたが
別居準備中~引っ越しの間にも

鬼電(1日に100回以上かけてくる)や
ラインの通知が鳴りっぱなし
な事はしばしばあって

ブロックしたり
解除したりの繰り返しです。


今回は叔母からも連絡があり

本当に具合が悪そうだから
会ってあげて

と言われたので
しぶしぶながら、送迎してきました。


久しぶりに見る母は
かなり痩せて、顔のシワも増え
すっかり「おばあさん」のようでした。

ずっと糖尿病を患ってますが
医師の食事指導に従わず
好き勝手に飲み食いしているので
とうとう尿に大量の糖が降りるようになったらしく
急激に体重が減少したそうです。

足腰もふらついており
階段を降りるのもしんどそうでしたが

口の方は以前と変わらず
玄関まで迎えに来た私に

「遅い!!」
「なんだ、その服は!みっともない!」
(どんな服装でも必ず言う)
「まだそんなボロ車乗ってるのか!」
「◯◯(夫のこと)は何で来ないんだ!」


と唾を飛ばしながら怒鳴り散らします。


母に別居の事は話ていません。


話せば首を突っ込んできて
ああしろこうしろ、だからお前はダメなんだ
と際限なく言われそうなので
できる限り知らせたくありません。


診察を受けて検査をしたところ
数値はかなり悪く出ましたが
以前と違う薬を処方されただけで
入院、という事態にはなりませんでした。


気が済むまで怒鳴りちらして疲れたのか
帰りの車の
助手席で寝入る母を見て

これから先の不安が
黒い雲のように湧き出してきました。


もっと症状が悪くなって
介護状態になってしまったら
一体どうしたらいいのか。。


身体は弱りきっているけど
頭と口のはっきりした母に
奴隷のようにこき使われる自分を想像して
言い知れない不安が押し寄せてきました。

どんなに口汚く罵られても
まだ元気でいてくれた方がいい。。

施設も入院も嫌がるであろう母の老後と
どう関わっていけばいいのか
今は不安しかありません。


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Twitterより

自分の子供を分身のように感じて
どちらか区別がつかなくなるぐらい癒着して
完全に同化してしまう事がある。


姉を産んだ若かりし日の母は
自分の側から片時も離さず
お風呂もトイレも一緒。

自分が子供の頃に憧れていたバレエ教室やピアノ教室に
毎日付き添い、贅沢な服や靴を買い与えて
自分がなりたかったお姫様のような生活をさせていたそうです。

しかし、小学校に入学する頃
姉にも自我が芽生えて
ひらひらした少女趣味の服や
興味のない習い事を嫌がるようになると

母の態度が急変。

「苦労して産んだのに裏切られた」
「何のために娘を産んだのかわからない」
「反抗するならもう育てたくない」


と言い出して
一気に育児放棄へと変わっていくのです。
(実際姉は2ヶ月ほど児童施設に入った)

そんな母が次に情熱を燃やしたのは

男子を産むこと。

産み分けの本を読みあさり
男子を授かるためにありとあらゆる努力をして
待望の妊娠をすると
まだ妊娠数週のうちから
せっせと胎教を施したそうです。

ところが

エコー検査で性別がわかり
女(私です)だとわかったら
激しく落胆すると同時に
妊娠状態やこれからやって来る出産にまったく興味を失い
自堕落な生活になって
とうとう妊娠中毒症に陥り
出産は非常に難産になってしまいました。

どうにか生まれてからも
愛着が持てなかったようで

「お前はテキトーにミルクやっておけば生きてたし」
「寝かしつけ?したことない」
「◯◯(姉)で同じことしたから飽きちゃって」


ネグレクト一歩手前ぐらいの状態で
私は育てられたようです。

とにかく男の子が欲しかった母に

「もう名前まで決めてたのに」
「なんで女なわけ??」


と、ずーーーっと言われてきたので
すっかり罪悪感が染みついてしまってますが
そんな事言われてもどうしようもない。


仮に男子が生まれてたとしても
同じように同化と支配を望んだと思いますが
今でも彼女がなぜ子供を2人も産んだのか
不思議に思います。

そんなふうに育った私の心象風景を
うまく描いてくれているイラストを見つけたので
貼らせていただきます ↓


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最近やっと「距離を置く」ことを覚えて
すこしずつ脱却してはいますが

自分の心が弱ってくると
母の罵倒が頭の中をリフレインして

ああ、自分はもしかしたら母の言う通り
ゴミクズ以下の人間なのかも・・

と思ってしまうので
本当の意味で母と自分を切り離すには
もっと時間が必要なんだと思います。


*過去の毒母関係の記事






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不安だった下血も
目視で確認するかぎりでは
止まってきたように見えます。

医師から渡された
大腸に炎症がある時に推奨される食品リストとにらめっこして
柔らかく煮た大根や、お粥を作り
極力負担をかけないようにしていますが・・

一番いけないのはストレスなんでしょうね。


普段は既読スルーしてる毒母からのライン。

今回は無視できませんでした。

なぜなら
夫が勝手に私の下血の事を
母に話してしまったから。

朝から何度もラインの通知音が鳴って
嫌な予感はしてましたが、、

母から何十というラインが来ていて

「下血なんてみっともない」
「病院は◯◯の△△先生に診てもらいなさい」
「お前の食生活が悪い、普段食べてる物を全部書き出して送りなさい」
「アタシがしばらくそっちに泊まって管理してやる」

など押しつけがましい内容。

もう長い間無視してるのに
安定の上から目線です。

そのうち電話をかけてくるようになったので
着信音を消して放置していますが
面倒な事になってきました。

私が何か反応するまでやめない気がする。

急ぎの仕事が入ったし
こんなことで煩わされてる場合じゃないんですが
返信せずにいると
家に押しかけてきそう。

きっと夫はこうなる事がわかってて
わざと母に知らせたんだと思います。
本当に陰湿な人。

毒母に何を言ってもムダだとは思うけど
もう私の存在を忘れて欲しい。。

あああ、早く引っ越したいです。

そしてラインも電話番号も変えれば
少なくとも母からは逃れられる。

今はあの理不尽なエネルギーの塊と
対峙する元気がない。

「自分で対処できるから問題ない。もうかまわないで欲しい」

とできるだけ丁寧に(でもハッキリと)書いて
返信してから
すぐにラインの通知をオフにしておきました。


別居できたら夫も母も
私のことをキレイさっぱり忘れてくれたらいいのに。

まるで最初からいなかったみたいに。


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夫の祖母の葬儀の件を
あえて母に知らせる事はしなかったんですが

母の気まぐれで
たまたま出した義母へのメールやり取りで
知ってしまったようです。

当然、私に電話をかけてきて

「なんで教えないの!」
「おかげでお母さん恥かいたじゃない!」

と怒り心頭状態で怒鳴りちらすと
話は自分の最近の生活のことになり
身体の不調やご近所さんの嫌がらせ(と母が思いこんでる)、
お金がない、このままじゃ孤独死確実という
どんどん本筋と違う話がとめどなく続くので

ああ、また例によって
自分の不安を人に押し付けてるんだなあと思い
適当に返事をしていました。

ひとつひとつ、丁寧に答えて
これこれこういう理由で葬儀の件は
後で知らせようと思った、と説明しても

母を呼びたくないのはこういう人だから

「そんなのアンタの理屈でしょ!」
「昔っから気がきかないんだから!」
「そういうとこ、あのクズ男(父親のこと)にそっくりだよ!」

どんどんヒートアップして
なぜか話の流れが
私達夫婦に子供がいない事に及び・・

「子供も持たない人間に一人前の口をきく資格はない!」
「夫婦そろって常識知らずなのはそのせいだ!」
「稼げもしない仕事して歳だけとってさ!」
「アンタみたいな女、昔はどう呼ばれてたか知ってる?」
「石女だよ!う・ま・づ・め!」

と、時代錯誤というか
フェミニスト団体が聞いたら卒倒しそうな
罵詈雑言を放ってきたので

葬儀の件で気分を害したなら悪かったけど
今はこれ以上話せないから、と言って
まだ電話口で怒鳴りまくる母を無視して
電話を切りました。

(もちろんその後も鬼のようにかかってきましたが
着信音を消して放置)

数か月会話してなかったけど
久しぶりに聞くとやっぱり強烈。。

でももう以前ほど気持ちを乱される事はなくなり
とにかくこちらの意思を伝えて
静かに距離をとればいい、と思えるようになりました。

わかり合えることは一生ないけど
自分と他人の境界線がはっきりしてくるにつれて
母の事も客観視できるようになったので
気持ち的にはだいぶ楽です。

いろんなタイプの毒母がいると思うけど
基本的には「逃げるが勝ち」なのかもしれませんね。

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微妙な空気になった会場を出て
姉のいる控室に行くと

化粧台の前に座って
放心したような表情の姉が
ポソリと呟きました。

「どうして・・・・」

「どうして、あの人が母親なんだろう・・・」

これは今もなお
私達姉妹が日常的に思うことです。

親を選ぶことは出来ないし
過去を変えることも出来ないけど

母のことは
人生でどうしようもない理不尽の中でも
最も憂える理不尽でした。

ショーのイベント自体は好評だったようで
優勝は姉に決まり
ドレス代も無料になったのがせめてもの救いです。

私はこの件以来

結婚式やウエディングドレスに
1ミリも憧れを持つことはなくなりました。

姉は母のことを心から切り離して
挙式や披露宴の間は
「見えない人」として母を扱っていました。

ですが、人生一番のハレの日に
影を落としたのは間違いありません。

母の暴言や妨害と戦ってまで
結婚式をしようとは
私には思えませんでした

きっと精神的にボロボロになるまで
口撃されたと思います。

晴れ姿もなく
結婚自体が成功してるとは言えない私ですが

今はこれで良かったのだと
思えるようになりました。


度々このブログで
母の事を綴っていますが
こうして冷静に思い出せるようになったのも
書くことによって
当時よりも客観的な視点が持てるからだと思います。

いつもくだらない回想をお読みいただいて
本当にありがとうございます。

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