卒婚・あたらしい夫婦のかたち

約1年の別居を経てから再同居。婚姻関係は維持したまま『卒婚』を目指します。熟年離婚した毒母との関係は難航中。。

両親の熟年離婚

→ 熟年離婚した両親のこと 1


つづきです。

無題









なかば母に押し切られるかたちで
結婚した両親。

特にお互いの家族から反対もなく
順調に新婚生活を送っていました。

2年ほどで姉が誕生。

数年後に私が誕生。

母は男の子を望んでたようですが
私で打ち止めにしたようでした。

(私が生まれて、娘だと知った瞬間「チッ」と舌打ちしたらしい)


好景気だった80年代~90年代は
父の仕事も面白いように好調で

早々に建売住宅のローンを完済。

途中から母親も
保険の外交員として働き始めます。

勉強が得意で
競争意識の強い母は
メキメキと顧客を開拓して
歩合制の給料は
いつしか父親を上回っていました。

母はどちらかというと
男性的な野心を持ち
弱者に対して冷たい傾向を持っていました。

「できない奴はいらない」

という弱肉強食主義を隠さず
後輩の指導にあたることもあったので
勤め先ではあまり評判がいいとは
言えなかったようでした。


娘である姉と私も
そんな母親とことあるごとぶつかり
2人とも高校卒業と同時に
家から離れました。


小金を貯めた両親は
なぜか田舎暮らしにあこがれて
(団塊世代にはありがちですが)

郊外(とても不便な場所)に
新しい家を建てるんですが

今思えば
ここが彼等の分岐点だったのかなあ
と思います。


つづきます・・・


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私の両親は歳が離れていて
母より父親のほうが10歳年上です。

父はかなり自由人で
結婚する気もなく
30過ぎても
好きな仕事をして
思いきり趣味に生きる人でした。

一方で母は東京の国立大を出た
いわゆる高学歴女子。

実家もまあまあ裕福で
好きなだけ勉強に打ち込める環境だったようです。

まったく接点なさそうな二人でしたが
たまたま母がある楽器を習い始め

小遣い稼ぎに
時々その楽器の先生をしてたのが
父親でした。

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母にとっては初めて交際する男の人。
あっという間にコマされて
夢中になった母、23歳ぐらい。

一方、そこそこイケメンだった父には
すでに付き合いの長い
自分と同年代の女性がいて

のらりくらりと都合のいいように
両方とお付き合いを継続してましたが

ある時、母はその女性に存在に気がつきます。


父が「友人」を連れて
旅行に出かけると言っていた前日。

母から電話があり
こう言われたそうです。

「友達って例の女のことでしょ?」
「その女と私とどっちをとるの?」

10も年下でもやたら強気な母から
ぐりぐりと詰問された父は
タジタジして

「いやあ、でもほら、旅行っていっても部屋は別々だしさあ・・・」

といつもの調子でのらりくらり。。

これは後年の父も変わらない性質で
何事もはっきり言わずに
やり過ごすタイプなのです。

煮え切らない父に
業を煮やした母はブチ切れて

「今ここではっきり決めなさいよ!」

「若いのか、オバハンか!!」

と言い放ったのでした\(^o^)/


最後の一言が母親らしい。。


若い娘というのは
恋愛経験が乏しくても

自分の価値がどこにあるのか
よく知ってるものですねえ。。

二股相手の女性はわりと美人だったようですが
30代と23歳の母。

勝負の切り札で
「若さ」を出した母は
ある意味正しかったのでした。


長くなりそうなので続きます。



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